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Die Galerie

記憶
ユジノサハリンスク
何やら日本の城でも見ているようだが、これはサハリンである…
ご案内のとおり、サハリンの南半分は日本領の樺太で、“樺太庁”が当時は豊原と呼ばれていたユジノサハリンスクに置かれていた。樺太の行政や経済、更に文化の中心都市であった豊原は、札幌を模して碁盤の目状に街路を整備した街であった。(この基本的な枠組みは今日も引き継がれている。)
樺太庁は樺太の文化や自然を伝える博物館を建設することにした。その博物館がご覧いただいている“城”の正体である。建物の傷みが目立つという話しも伝わってはいるが、今日でもサハリン州の博物館として利用されている。
ソ連が樺太を占領した際、樺太の邦人は直ちに全て日本本土へ引き上げることが出来た訳ではなかった。引き上げには数年を要した。その間、入り込んで来たロシア人などソ連の人たちと、樺太に居た邦人との雑居状態が見られたという。
この博物館には、樺太庁の学芸員達が居たが、彼らも直ぐには引き上げられなかったようで、ソ連政権下での博物館として再編成する任務を帯びたソ連側学芸員達に館内の貴重な所蔵資料について説明をして収蔵品目録整理に協力するなど、止むを得なかった側面も大きいのだろうが、一種の学術交流があったという。
こうした仕事のおかげで日本時代から受け継がれている収蔵品としては、今日では収集が望み難い少数民族関係の資料や、希少種となっている鳥類の剥製などが特筆に価する。ソ連時代のものについても、余り知られていない“極東共和国”関連のものなど、興味深いものがある。
文化や自然の記憶を所蔵する博物館だが、建物自体がこの街の記憶を伝えている…


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