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Die Galerie

国境
ポーランドとドイツの国境
“国境の街”という呼ばれ方もある町に住んでいると、“国境”というものについて考えてみたくなることがある。
石垣土産の泡盛を飲んでいて、「これはどんな所で造っているのか」などと思い、地図を見た。ざっと見た感じで稚内から3500q程ある。それを見た後、たまたま聞いていたサルサにつられてキューバの地図を見る。ニューヨークとキューバの距離関係、位置関係が何処となく稚内と石垣のそれらに似ている。
稚内と石垣との違いの大きさがイメージ出来る話しだが、それ以上に思ったのは、この範囲に含まれる海岸線の総延長はどれ位かということである。海岸線から伸びている領海というものの陸よりが日本国の主権が及ぶ領域で、海側は国外ということになる。この国は実に長大な国境を有している。
こんなことを思い、“国境の街”というのに何処となくしっくりしないものを感じ、“国境”について時々考えていたが、ポーランド最西端の小さな街で、“国境”というものは何時も変わり続けていた、実に人為的なものということに思い至った。この街のスウィノウスチェというポーランド語名だが、実はこれ以上にスウェネミュンデという独語名の方が多く記録に残っている。街の小さな資料館にさえ、目に付くのは独語の旧い文献やら地図ばかりなのだ。この街がハッキリとポーランドのものになったのは、現在の国境が確定した第2次大戦後のことに過ぎない。古くからポーランドで知られた土地で、ポーランド語の名前もあるが、ここは長いことドイツのものだった。その“ドイツ”にしても、今日私たちが知っているドイツの母胎となった国が確立したのは明治時代位のことだ。欧州連合加盟国どうしの間を動く分には、ハッキリとゲートがある国境は意識しないで移動することが可能だが、これにしても1950年代や60年代を舞台にした小説などでは、色々工夫して国境をコッソリ越える話しなどが沢山ある。人為的に現在の姿にしている。
色々と考えたポーランドとの短い出会いだったが、それを象徴したのが、小さな街の外れでひっそりと佇んでいた、写真の国境である。


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