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Die Galerie

氷結
ラトビア ユルマラ
深い湾のように拡がるバルト海の海岸線で、更に窪んだ湾になっている辺りにラトビアはある。塩分濃度が低いバルト海は波静かで、沿岸部などが凍ることもあるようだが、更に深く湾状になったリガ周辺では、その傾向が顕著なようだ。
首都リガから小一時間も列車-私が訪ねた時は旧東独製の電車だった…−に揺られると着くユルマラは、夏場は美しい海岸の保養地として有名なようだが、厳冬期の2月はご覧のような有様だ。沿岸部が見渡す限り氷結し、白い砂漠の様相を呈している。
何やら看板が立っている。インドヨーロッパ語族の独自言語で、それに触れる機会が殆どないラトビア語で記載された看板はよく理解出来ない。白地に赤文字と目立つようになっていて、感嘆符があるので、何かの警告のようだが、看板の大きさに比して文字の大きさが不自然に上に寄っている。下の方を凝視すると、書いてあった文字をわざわざ消した跡が見受けられる。私はロシア語を多少解するが、消された文字はロシア語のアルファベットだった。
「氷上の歩行は大変危険です!」というのが解読した、消されたロシア語の内容である。氷結した水面をかなり向こうまで歩いて、穴を開けて釣りなどをする人もあるのだろうが、時々急に氷が割れて事故も発生するのであろう。
これは人命に関わる警告看板である。この地にはロシア語しか解さない住民も居る。それでもロシア語をわざわざ消しているのは「公用語はラトビア語で、それを解する者がここの国民である」という政策の故である。こうした考えで、通りの名を示すような、街の中で普通に見られる一寸したものの中にもわざわざロシア語を消した跡が残っているものが見受けられた。
これについて「極端!」とか「人権侵害!」という声さえ上がったが、ラトビアは動じなかった。「50年に及ぶソ連による“占領”-バルト3国では1940年の“ソ連加盟”の経過を不当なものとし、ソ連時代をこう呼んでいる…−で、ラトビアの言語文化がグシャグシャにされてしまっており、正常に復しているのみである。数十年ラトビアに住んでいる、ロシア人を始めソ連各地から来た人たちが地元の言葉を一言も知らない状況が寧ろ異常である。」というのが当時のラトビアの主張だった。ラトビアをラトビアたらしめるラトビア語を軽々しく扱うべきではないということである。利便、実用で「大都市の住民の半数以上がロシア語系」とロシア語の看板を掲げる必要など無いということである。
ある国では、外国人が目立つと言うと、直ぐに「外国語の看板!」と言い出す人たちが見受けられる。そうした人たちには是非、こういう例もあることを見て考え、その上で本当に役に立つ取組みを探っていただきたいものだ…


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